中根逍遥

東京都目黒区立中根公園からぶらぶらと

坂あがり

睦坂:坂あがり⑬

睦坂 この坂のある道は、昭和の初めの耕地整理によって新しく造られた道である。当時この付近に住んでいた人々が 自由通りの目黒通りと熊野神社の間に位置します。 睦坂2 https://goo.gl/maps/pasowP67RWx9gNS68

谷畑坂:坂あがり⑫

谷畑坂 旧衾村の字「谷畑」にあることから谷畑坂と呼ばれた。この坂下にはかつて湿地で鷺草が自生していた。またこの道は、二子道(現、目黒通り)から九品仏方面への道として耕地整理以前から現在に近い形で、直線的にあった古道であった。 学園通りの一本西…

化坂:坂あがり⑪

化坂 元の化坂は耕地整理のため消滅している。武蔵野台地の斜面に多い赤土層に砂礫層が露出し、湧水が出るところを「はけ」といった。 それが転じて化坂となったといわれる。また、この坂が衾と深沢の堺を分けたので「分け坂」とも呼んだという。 この辺りの…

太鼓坂:坂あがり⑩

太鼓坂 昔、この坂の斜面が太鼓のような形をしていたので、または、急坂のため太鼓を転がすように人が転げ落ちたので、太鼓坂と呼ばれるようになったといわれています。 また、目黒には多くの坂があり、この付近だけでも他に5つの坂があります。 ①化坂 ②しど…

しどめ坂:坂あがり⑨

しどめ坂 「しどめ」とはバラ科の草ぼけ(しどみ)のことで、赤い花の咲くとげのある木である。昔はこのしどめが、呑川の岸辺に群生していたので坂名になったといわれる。 残念ですが、銘柱の下のほうが読みにくくなっています。 しどめ坂銘柱下 しどめ坂3 …

氷川坂:坂あがり⑧

氷川坂 近くに氷川神社があるので氷川坂と呼ぶようになり、この坂下のあたりを坂口といった。坂のあるこの道から氷川神社の前を右折し、商店街を通る道は二子道と呼ばれた古道である。 氷川坂2

蜀江坂(廃道):坂あがり⑦

蜀江坂(しょっこうざか)は、かつて、中根二丁目18番を西(立源寺裏)から東(呑川)に下る農道で、野良仕事の行き来に利用されていたが、昭和初期に行われた耕地整理により廃道となった坂である。 と www.city.meguro.tokyo.jp にあります。 以前、元プロ…

兵庫坂:坂あがり⑥

兵庫坂 中根公園の前の道を立源寺の裏手に向かった坂。 看板も銘柱もありませんが、調べると「ひょっこさか」と言うらしく、戦前には兵器庫があったことから、この名になったようです。 私は自由が丘に歩いて行くときに、この坂を使います。 https://goo.gl/…

柿の木坂:坂あがり⑤

坂の途中に人目につく大きな柿の木があったので、その名がついたといわれる。 また、近所のこどもが、この坂を通る野菜を運ぶ荷車から柿を抜きとったため、「柿抜き坂」が変わって「柿の木坂」になったという説もある。 目黒通りが今のように広がる前には、…

天神坂:坂あがり④

坂の途中に北野神社があり、天神様(菅原道真)を祀っていることからこの坂名となった。坂のあるこの道は、もとは駒沢方面へ通じる古道であったが、現在は直線的になり経路も変更になっている。 天神坂 都立大学駅の改札を出て左、目黒通りを越えて目黒区立め…

鶯坂:坂あがり③

昔このあたりは切り通しになっていて、両側に竹や杉が茂り、鶯がよく訪れて鳴いていたのでこの坂名になったといわれる。 鶯坂 鉄飛坂とほぼ平行、大岡山駅方面に行ったところにあります。大岡山駅に近づくにつれて、坂の勾配がきつくなるように感じます。 急…

鉄飛坂:坂あがり②

「てっぴ」とは山頂、てっぺんを意味し、それが坂名になったといわれるが、他にもポルトガル人 テッピョウスという人物が住んでいたからや、鉄砲鍛冶がいたからなど諸説がある。 鉄飛坂 中根公園から中根小通りに出て、緑ヶ丘方面に進み(都立大学駅と反対方…

寺郷の坂:坂あがり①

この坂上には立源寺があり、かつてこの周辺を「寺郷」と行った。また、この道は江戸時代、九品仏へ向かう道で、この辺りに水茶屋があったため「衾の茶屋坂」とも呼ばれていた。 寺郷の坂 中根公園から中根小通りに出て、緑ヶ丘方面に進み(都立大学駅と反対方…